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History (無線歴2)
電話級アマチュア無線技士養成講習会
大学4年の終わり、卒業論文を書き終え少し時間が出来たので、アマチュア無線技士の免許を取ることにしました。心の中には、やはりパーソナル無線では物足りないという気持ちがあったと思います。先出の小笹晃氏に見せてもらった、アマチュア無線のあのSSBのくすんだ響きが忘れられません。
電話級とはいえ、無線工学というと理科系人間の世界です。当時の私は、高校卒業のときの数学通知表の評価は10段階評価の「1」でした。恥ずかしながら数学がほとんどできません。国家試験と言う道もあったが、迷わず講習会を選んだ。当時4万円近い出費だったと思います。しかし、ある理由でもうしばらくしかこの浮世にいられないことも判っていました。
そこで京都の寺町電気街のとある一軒で行われていた講習会に申し込みました。昭和59年ころの養成課程講習会の科目は「無線工学」と「無線法規」。ともに18時間の受講内容でした。これに軽く1ヶ月近くかかった記憶があります。今は亡き前田利男君も一緒に受講しました。修了試験はすべて記述式という内容。しかし、文系人間の私にとっては丸暗記でOKという内容によくなじめました。おかげで、大学卒業までには無事合格することができました。
ファンシイダンスの世界へ
電話級アマチュア無線技士を取得した直後、家業を継ぐためファンシイダンスの世界へ入門。4年間は世間から隔絶された。
電信級アマチュア無線技士取得
ファンシイダンスの世界から戻り、結婚なんかもして一年が過ぎようとする中、なんとか欧文モールスの勉強をしました。その頃は、養成課程講習会が電信級まで存在しました。
平成元年ころの電信級と電話級の差異は、CWが出来るか出来ないかの事だけでした。出力も10wで同じ、出られる周波数帯も同じ。そこで講習会は、電話級を所持していれば半日程度2~3時間のモールス受信実技を講習し修了試験を受けるという形でした。
私は桜の咲く3月下旬、巣鴨のJARLビルまで出かけ、講習会と修了試験を受けました。
モールス信号の覚え方
いろいろな覚え方が、それぞれの人にマッチすると思いますが、私は音感法をお勧めします。音感法とは「ピピー」は【A】と音から文字に直接変換する体感で覚えます。合調語法という覚え方もありますが「ピーピピピ」→「ビートルズ」→【B】と2段階の変換をアタマの中でしなければならず、高速モールスになってくるとお手上げになります。
私の使ったカセット(当時はカセットテープが主流)は、音感法で5文字を覚え、次のステップでは新しく5文字を覚え、最初に覚えた5文字と合わせて10文字の受信練習をするという学習方法でした。5日間で25文字を習得できたと思います。
アマチュア無線従事者資格の変更
この頃、無線従事者の操作の範囲等を定める政令制定、空中線電力に応じ1アマから4アマの四種として、平成2年に施行すると発表されました。
1アマ:アマチュア無線局の無線設備の操作
2アマ:アマチュア無線局の空中線電力100W以下の無線設備の操作
3アマ:アマチュア無線局の空中線電力25W以下の無線設備で18MHz以上又は8MHz以下の周波数の電波を使用するものの操作
4アマ:アマチュア無線局の空中線電力10W以下の無線設備で21MHz以上又は8MHz以下の周波数の電波を使用するものの操作(モールス符号による通信操作を除く。)
2アマ受験失敗
平成2年の春には、第2級アマチュア無線技士の受験をします。2アマ以上は講習会がありません。国家試験のみです。当時はHF帯でCWばかりやっていましたから、実技(この頃はもう、受信試験のみ)は自信があったのですが、理数系からっきしダメ人間の私は多分無線工学で落とされたと思います。まったく問題が解けませんでした。
結果は受信実技の科目合格のみにとどまりました。
3アマから飛び級で1アマ取得
2アマ受験失敗から半年。中学校の数学を一からやり直した私は、ずいぶんと強くなっていました。「ここは、2アマをすっ飛ばして1アマを受けよう」という欲が出て、さらに勉強。理数系の知識は1アマ必須の高等専門学校卒業程度まで、身につけることができました。あわせて、電気通信術試験も和文受信訓練を趣味と実益を兼ねて、実際の交信で腕を磨きました。
試験は平成2年10月、長野市の信越電波監理局で行われました。その時に後から懇意になるJR0QFA加藤氏が、隣席で受験していたように覚えています。
結果は猛勉強の甲斐あり、一発合格でした。
2アマを追加受験
飛び級で1アマが合格してしまったのですが、やはり従免(無線従事者免許)は4枚欲しいのが人情(?)1アマ合格後、平成2年11月に2アマの国家試験を追加受験し合格、雪辱を果たしました。
500W免許への道
1アマを取得してからは、もう500W免許に向けて一直線でした。アイコムもIC-780とIC-4KLラインで送信機設備をそなえ、アンテナタワーは愛知タワーのAKT32DXで8~32メートルまで伸縮する最上級の設備まで備え付けました。なお、IC-780とIC-4KLは現在も健全で私のシャックで活躍しています。特に4KLに関しては1kw化を施し、免許に向けて準備を進めています。
500W免許取得
平成3年12月、ついに念願の500W免許を取得しました。当時は、信越電気通信監理局がら検査官2名と書記官1名に運転手が付き、4名で自宅に来訪し、落成検査の後、即日免許交付となりました。
しかしこの500W免許は、母の死と無線に対する達成感の後の真っ白な灰になった気持ちから、更新を忘れ失効してしまいました。
これ以降、私の無線は25年に亘る冬眠生活に入ります。